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2010年5月

2010年5月30日 (日)

鉄サビ

May.30.2010

:今朝は〝雲〟を探しているが一つも浮かんでいない。快晴となるか―。

内川にかかる橋は、橋脚に鉄骨板を乗せている。

ペンキは一切使用しません。「鉄錆び」が「鉄錆び」を防止するからです。

とは現場監督の話。

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そこで、いろいろと調べてみると…。

<鉄錆びの化学式> 鉄の代表的な錆びは、「赤錆び」黒錆び」がある。どちらも酸素と化合した酸化鉄。通常はこれらの混合物。

①赤錆び 「Fe304(磁鉄鉱)            酸化鉄

この錆びは荒くて、内部の鉄を保護することは出来ない。

②黒錆び Fe203-H20              酸化鉄

赤錆びがより緻密で、前面が黒錆びの場合は内部の鉄を保護する

と、いうことらしい。

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2010年5月28日 (金)

山椒バラ

May.28.2010

バラ科・バラ属だけあって、枝は野バラの肌をした「サンショウバラ」。

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「驚き 桃の木 山椒の木  あたりき 車力よ 車曳き  蟻が鯛なら 芋虫ゃ鯨 …」と、活きのよい言葉は急に止まれない。

森の交流センターには時々行っているが、この「山椒バラ」の花を初めて見た。葉の濃い緑にマッチさせ、淡いピンク色の薄化粧が印象的だった。

山椒独特の葉の香りは、普通?の山椒より低く、柔らかい感じの香りがした。

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2010年5月10日 (月)

垣生界隈を訪ねて

May.10.2010

昨日まで若葉や、初夏の花々を照り返していた太陽は、今朝から〝お休み〟状態。

9日、【山の辺のみちを歩こう会】主催のウォークに参加した。

最高気温は26.9℃。紫外線は容赦なく降りそそいだ。

絶好のウォーク日和。郡中線「鎌田駅」をスタート。

まず「出合公園」で、ヨガ講師の指導でウォーミングアップ。

今回も、Yさんが写真を示しながら、より具体的に説明を頂きました。

有難うございました。

重信川に架かる橋のたもとには、「若鮎の 二手になりて 上りけり」 子規。=明治25年(1892年)= この頃は、若鮎を放流しなくても沢山泳いでいたことでしょうネ。

先ず、伊予絣の創設者、鍵谷カナの功績を讃え、八角屋根の真ん中に頌功碑を納めているところで説明を受ける。

鍵谷カナ=1782年~1864年。江戸時代後期、「伊予絣」の創始者。

墓は、長楽寺内にあって、県の史跡に指定されている。
1801年~1803年に、わら屋根葺き替えの際、押し竹を縛った跡の斑文からヒントを得て、享保年間(1801―04年)飛白の絣を考案したといわれる。

「朝鵙 夕鵙かすり 織り進む」 村上霽月(本名・半太郎・明治から昭和にかけて経済人、文人として活躍した)。この碑は「鍵谷カナ堂」敷地内建立されている。 かつては、家ごとに機音が絶えなかった。

街道に面した村上霽月邸の白壁の長屋門は、よくその当時の面影を物語っていたが、現在、修復されている。文学史跡として訪ねる人も少なくない。

昼食は「タコ飯」。数十年前に食べた味を思い出したひと時であった。

松前城跡。(加藤嘉明が1595年、6万石を持って松前城に入った。また、松山城築城の時、松前城の石材、櫓、筒井門を解体、これらの資材を活用した。 1615年、「大坂冬の陣」の総大将、後藤又兵衛は、戦死を装って旧友加藤嘉明を頼って松前地区に逃れる。百姓となって、地域の開発に努力したと語り継がれていて、大智院内にその夫婦の墓がある)

義農作兵衛。(1732年の大飢饉のとき、飢えに苦しみながら翌年の播種用の麦種を枕にして餓死、世人は「義農」を称賛、1881年に神社を建てて作兵衛の御霊を祀った。この「義農公園」内には、義農神社のほか、作兵衛の碑、頌徳碑、墓、坐像と、子規、虚子、極堂らの碑もある。このように義農作兵衛の精神は「義農精神」として現在も脈々として受け継がれている)。

ここで、予定のウォークは終わる。

3分の2は、松前駅で分かれる。

まだ「“歩き”が足らない」方々は、「エミフルまさき」でコーヒーなどで小休止した。その後、恵久美から大間へ。重信川に架かる「出合自転車道橋」を渡って市坪へ。松山中央公園から市坪駅で別れる人を見送り、二手に分かれる。雄郡方面を歩く方、はなみずき通りを歩く方に分かれる。最終は、石手川の橋を渡らず、右折して石手川公園駅へ。橋を渡って市駅まで歩く人と、よくもまあ、歩いたものだと、.つくづく思う。

これでまた、明日への健康につながった。

次回は◆6月13日(日) 【滑川渓谷】を訪ねて。

渓谷美を堪能しながら、滑川から落出まで歩く。歩き足らない方は、伊予鉄バス川内営業所へ、そしてまた、延長して横河原の電車の駅まで歩く。

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2010年5月 8日 (土)

鼠小僧次郎吉

May.08.2010

  青嵐 鼠小僧の 墓ここに

鼠小僧次郎吉。

   天(てん) が下(し) た 古い例(ためし) は しら浪の(盗賊の意、「知る」と掛ける)

                      身にぞ鼠と 現れにけり  鼠小僧次郎吉

鼠小僧次郎吉は大名屋敷から千両箱を盗み、町民の長屋に置いて立ち去り、義賊として活躍する。

本人が白状したもの▲侵入=400回 ▲総額=1万2千両 ▲1両=10万円として、12億円以上。

墓は、東京・両国の回向院や松山市のほか、浜松、有馬温泉などにも存在するらしい。

松山市の西龍寺境内の墓標には[教覚速善居士・俗名鼠小僧次郎吉]と彫られ、高さ約50㌢の周りには、屋根瓦を縦にして一寸の空き間もなく敷き詰められている。

松山市の墓は、明治末期に新栄座で「鼠小紋東君新形(はるのしんがた)」上演の際、松山の石屋が作った。依頼主は歌舞伎一座か、新栄座主か不明だが、興行後、同寺に供養を頼んだらしい。(この項、愛媛新聞社刊「愛媛県百科大事典」から抜粋)。

  ◎画像の上にMPを置くと画像が変わります。

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