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2010年6月

2010年6月30日 (水)

今年の夏

Jun.30.2010

「まだ夏を超えていませんが…」と年賀を頂いたのはこの間のように思われる。

そして今日は6月晦日。

しかし、今年はまだ180日余りもあります。ご訪問の皆様のご健勝を願っています。

これからもどうか宜しくお願い申し上げます

北海道では猛暑。松山では「梅雨の合間の青空を見上げたい…」と願っている。

         ほろほろと 雨吹き込むや 青簾 子規

    山あれば 山を見る 雨の日は 雨を聴く 

                春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし  山頭火

  『菜食健備 呑気青老』。これからもこれで行きます

  ( ´_ゝ`)ノボンジュール♪ ( ^ω^)おっおっおっ  ι(´Д`υ)アセアセ   

気象庁は24日、7月から9月までの3ヵ月間の天気予報を発表。

明日からの7月は、日本の東海上で太平洋高気圧が強まる見込みで、全国的に気温が高くなりそう。また、北日本から西日本にかけては南から暖かい湿った空気が流れ込みやすく、降水量が多くなりそう。

8月は、太平洋高気圧の北への張り出しが弱いため、北日本で気温が平年より低くなり、北日本と東日本で降水量が多くなると予想。

9月は、全国的に気温が高くなる見込みで、厳しい残暑が続きそうだ。

   ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

    冷たいビールで今年の〝猛暑〟をとばして見せよう

.    ..。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

      ◎枝豆ヤ 三寸飛ンデ 口ニ入ル  子規

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Photo 「箱入り娘」初出荷。甘さ例年以上!。  手づくりバッタ。出番待つ!。Dscn1548_2  

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2010年6月29日 (火)

真夏の香り

Jun.29.2010

今、九州に降っている雨は四国へ来るのだろうか。

予報では「南東の風 日中 西の風 くもり 朝晩 雨 所により 雷 を伴う」とある。午後の降水確率は30%。

南東の風は湿度を運んできていて、その値が80%を超えている。汗が肌にベト付く。

今日も素敵な一日とはならないようだ。

   。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

アメリカデイゴなど、「真夏の香り」を添えて咲き始めている。

アメリカデイゴは沖縄県の県花ともなっている。

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                          ☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*

サボテンの仲間は次から次へと咲きそうです。名前が分からない。お願い教えて…。

クチナシは終わりに近く、はなみずき通りと33号線を結ぶ新道脇で、独特の香りを添えて咲いていました。

ベゴニアは溽暑が大好き。 バックは「西洋段竹」です。

Begonia

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2010年6月28日 (月)

裏に道あり

Jun.28.2010

昨日の最高気温33.5度。身体の置き処がなかった。

重信川界隈の裏道にも、いろいろな植物が花を咲かせ待ってくれていた。

グラジオラスは満開近し。房藤空木も小さい花をつけて垂れ下がっている。

年中咲いているウキツリボク、うっとうしい梅雨の雰囲気を明るくしているよに見える。

Photo「うど」の群生に出会う(約30坪)。誰も相手にしてくれないのか?大きく伸び放題。そして、その隣では「西洋段竹」が広範囲に茂みを作っていた。

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2010年6月27日 (日)

オオタニワタリ

Jun.27.2010

今朝は蒸し暑い。こんな気温がオオタニワタリの「笑顔倍増日」といったところか。

35年前?、鹿児島県出身の知人から頂きました。

厳寒対策などもせず、自然にまかせている。

葉の裏側に付く茶色っぽい胞子が太ると黒ずんでくる。そのチャンスを捉え、胞子を岩の割れ目に落としていると、ここでも育ち始めている。

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2010年6月24日 (木)

ホンコンエンシス

Jun.24.2010

今朝は北からやってきている高気圧で涼しく感じます。しかし、日中は気温がグングンあがりそう。 でも、今日は畑の夏草の処理に出かけます。

やまぼうし=常緑の木ホンコンエンシス。これから選抜されたのが「月光」。

と、名前をつけているだけあって、白に極く薄いピンク色をプラスして開き輝いていた。

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2010年6月21日 (月)

ゴデチャ

Jun.21.2010

ゴデチャ。どなた様が付けられたか知らないが、面白い名前を付けてくれている。

和紙で作ったような花びらは超豪華版!。

「色待宵草」とも言うそうです。

Photo

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2010年6月18日 (金)

ユキノシタ

Jun.18.2010

梅雨の頃に咲く花のひとつ「ユキノシタ」。鴨足草・虎耳草・雪ノ下。

Photo

無数の小さな花ビラは、まるで降りしきる雪のよう―。

花茎を伸ばして一面に白い花を咲かせている。

若葉は天ぷらにする。季語は「夏」。

雨は小さな輪をつくって降り続く。

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2010年6月 4日 (金)

銅山越ハイキング

Jun.04.2010

「『ツガザクラが咲いています』・『別子銅山の産業遺跡』を巡るハイキングに出かけてみませんか」と、松山市登山協会からご案内をいただいた。“歩行ランク”は「初級程度」とある。早速申し込んだ。

5月最終の日曜日、総勢38名が2台のマイクロバスに分乗して市駅を出発。松山道、県道47号線を利用して「日浦」着。同登山口を9時10分出発、銅山越を目指した。そして、行動最終地「東平」に到着したのが15時10分だった。日曜日とあって車の洪水?。

「東洋のマチュピュ」を見学。見上げる園内には、西洋石楠花、紅白の絞りをつけて咲くツツジなどが待っていた。往復440の階段、一気に下り、一気に駆け上がった?。

           ◎下の画像は出発地点の「日浦」にありました。

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①旧別子銅山開発から約300年を経た歴史の道で、当時の模様を偲びながら遺跡の道へ第一歩を記す。

②小足谷「接待舘跡」(要人を接待するため、明治34年に開設された「宿泊」・「宴会」などの施設)を右に見ながら上る。

③足谷川にかかる鉄製の吊り橋を渡る。(吊り橋は沢山あった)

⑤「ダイヤモンド水」。深さ約80㍍から噴出している。水量は1分間に25㍑を超える。これは、工業用ダイヤモンドが付いたドリルで鉱脈を探査中、地中から水が噴き出し、ドリルの先端部分が回収できず、誰ともなく「ダイヤモンド水」と呼ぶようになったらしい。

コケイラン。エビネの親戚らしい。

⑦「別子本舗(本坑)」/別子銅山発祥の記念すべき最初の坑道。 ◎「別子銅山」の繁栄はここから始まった。

向かって左が「歓喜間符」、右が「歓東間符」。(間符、まぶ、「坑道」のこと。但し、すべての「坑道」を言うのではなく、「歓喜間符」・「大和間符」・「大黒間符」のみ)。

Photo「蘭塔場」。元禄7年(1694)4月の大火で132名の犠牲者出る。その方の霊を祀る墓所だったが、大正5年(1916)瑞応寺境内に移されている。

「ツガザクラ」に出会えて感激。県指定の天然記念物。ここの群落は学術的にも文化財としても重要な価値を持ち、「銅山峰が日本の南限地として植物の分布上としても貴重な生態資料といえるそうです。 ◎赤石山系は昭和50年(1975)、県指定の「自然環境保全地域」となり、法のもとに保護されている。

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「大露頭」。「何回も来ているが、ここは知らなかった」という方が沢山いた。「銅鉱石」が地表に露出し、酸化変質して褐色の酸化鉄になったもの。

「銅山越」。標高1294㍍(皿ガ嶺より少し高い)。1702年に銅山の粗鋼を新居浜に運ぶために開削された峠道のピーク。往時は幾多の人々の汗と脂を知る難所だった。この往来で倒れた無縁仏を弔うため地蔵さんが建立されている。「山の辺のみちを歩こう会」の会員の方とも会った。自家用車を利用してのハイキングとのこと。

角石原」にある「銅山峰ヒュッテ」前の広場で、松山市登山協会のN役員から「安全登山」について、「楽しい山歩き」・「三角巾の使い方」・「上下雨合羽を利用しての救助方法」・「熱中症の対応」などについて講習をしていただく。

下の画像は海抜約1.100㍍もある「角石原」付近で日本最初の山岳鉄道が活躍していた。

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「ギンラン」。2~3ヵ所で見られた。

「アカモノ」。別名「銅山いちご」の名で知られている。小指の先ぐらいの赤い実が熟すと焼酎漬などにする。10数年前、「銅山峰ヒュッテ」でいただいたが、味は甘く作っていた。

「インクラインの跡」に往復440の階段を作っている。この階段を下っていくと「東洋のマチュピチュ」が見上げられる。

「東洋のマチュピチュ」。(採鉱された「銅の選鉱場と貯鉱庫」の建物跡)

◎元禄7年(1964)、住友家が大阪奉行所へ届けた別子銅山の使用人は総計5.000人。妻子を含めると14.000人から15.000人と推計している。

◎「別子型鉱床」として広く世界に知られていた別子銅山。閉山時点には、なんと海水面下1.000㍍まで掘り下げていた。掘り出した鉱石の量は、およそ3千万トン。これを製錬して取り出した銅量は約2万6千トンとなっている。昭和48年(1973)、282年に及ぶ輝かしい産銅史の幕を下ろして閉山した。 

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